Praying hands” by Albrecht Durer

旧約聖書 土師記(Judges)7-8章

ミディアン人に蹂躙されていたイスラエルの人々は、神に助けを求めていました。そして神はマナセという地域のギデオンを選んでリーダーとして立て、メディアン人と戦わせます。神はそのギデオンの軍隊の兵力を減らされます。そしてわずか300人となったギデオンの軍隊は奇跡を経験して、メディアン人を打破するのです。しかし、その後、ギデオンの軍隊を助けるよう要請されたエフライムや、ガド(スコテやペヌエル)のという地域の友は、言ってみればマナセ族の親戚であるにもかかわらず、心よくギデオン軍を助けませんでした。

なぜなら彼らは、プライドや恐れに支配されていたからです。神の祝福が与えられているのを知りながら、神に頼るよりも自分の心にしたがってしまったのです。

私たちも神様からの祝福を受けながら、自分のプライドや恐れのために主にある友に冷たく接してしまうことがあります。

そんなとき、私たちを友と呼んでくださるイエス様を思い出しましょう。イエス様は、羊のために命を捨てる羊飼いでおられます。

アルブレヒト・デューラーの「祈りの手」という絵があります。絵描きになりたいという同じ夢を持っていたアルブレヒト・デューラーとその友は、貧困のため、炭鉱で働かざるを得ませんでした。しかしそれは重労働で、絵描きになる勉強ができずに毎日を過ごさざるを得ませんでした。ある時その友はデューラーに提案したのです。4年間僕が働くから、その間君は絵の勉強に専念してくれ、そのあと君が4年働いて僕に絵の勉強に専念させてくれ。4年たって、アルブレヒト・デューラーの絵は売れるようになりました。でもいざその友の番になったとき、その友は炭鉱の仕事で指を痛めてしまい、絵描きになる夢を捨てざるを得なませんでした。しかしその友は、それでも、デューラーが絵描きとして成功したことを喜び、そのことのためにデューラーが苦しまないように祈るのです。

その祈りを知ったデューラーが描いた絵が、「祈りの手」です、彼らはどちらもクリスト者として、キリストに倣った生き方をしました。

私たちには真の友、キリストがいるのです。

キリストに倣って生きることを願いましょう。