第2列王記に見る携挙

今日は旧約聖書の中にも携挙を示唆している箇所があることを見ていきます。

第2列王記 81-6 

1,エリシャは、かつて子どもを生き返らせてやったあの女に言った。「あなたは家族の者たちと一緒にここを去り、とどまりたいところに、しばらく寄留していなさい。主が飢饉を起こされたので、この国は七年間、飢えに見舞われるから。」

2,この女は神の人のことばにしたがって出発し、家族を連れてペリシテ人の地に行き、七年間滞在した。

3 七年たった後、彼女はペリシテ人の地から戻って来て、自分の家と畑を得ようと王に訴え出た。

4,そのころ、王は神の人に仕える若者ゲハジに、「エリシャが行った大いなるわざを、残らず私に聞かせてくれ」と話していた。

5,彼が王に、死人を生き返らせたあの出来事を話していると、ちょうどそこに、子どもを生き返らせてもらった女が、自分の家と畑のことについて王に訴えに来た。ゲハジは言った。「王様、これがその女です。そしてこれが、エリシャが生き返らせた子どもです。」

6,王が彼女に尋ねると、彼女は王にそのことを話した。すると王は彼女のために、一人の宦官に「彼女のすべての物と、彼女がこの地を離れた日から今日までの畑の収穫のすべてを、返してやりなさい」と命じたのであった。

1)シュネムの女

1節の「かつて子どもを生き返らせてやったあの女」というのは、シュネムの女のことである。(列王記第2 4:8~)  

エリシャに食べ物を与えたり休む場所を提供した。子供がいなかった彼女は子供を与えられた。その子が死んだとき、生き返ったことを経験した。なぜ彼女の名前が記述されていないのか。裕福で社会的に地位もあったとかかれているのに、、、

ただ子供を生き返らせてやった女とだけ書かれているということは、そのことを思いめぐらすことが肝要だということである。この女は神の人エリシャに心を開き、神に仕えた。この女はそもそも子供がいなかった。しかしそして主の恵みにより子供が与えられたのである。そしてその子は病によって一度死んだ。しかしその子はよみがえったのである。

この女は、誰であろうか。私たちキリスト者を指しているのではないだろうか。私たちは神の子供を与えられる資格はなかった、しかし恵により神の子、イエスキリストを与えられたのである。しかしそのイエスキリストは罪という病を引き受けることによって十字架の上で死んだ。しかし3日後に、よみがえったのである。

2)7年の飢饉

この7年間の飢饉というのはダニエル書9:27の70週の中の最後の1週つまり7日間そのものではないにしても、それを予想させることを意図しているのではないかと私は考えている。この7日間というのは、7年間のことであり、それはいわゆる大患難時代と言われているものである。これはイエス様がマタイ24章で預言されていた終わりの時代のことである。

この大患難時代は前半と後半に分かれるが、マタイの福音書で言うと前半が24:4-14, 後半が24:15-31である。そしてそこに飢饉が起こることが書かれている。黙示録で言えば、この大患難時代は、6章から19章にわたって展開されている。ここではマタイの福音書の箇所を確認しておこう。

“わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わします。

また、戦争や戦争のうわさを聞くことになりますが、気をつけて、うろたえないようにしなさい。そういうことは必ず起こりますが、まだ終わりではありません。

民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで飢饉と地震が起こります。”

マタイの福音書 24章5~7節

  • 携挙

しかし神は、この女を7年の飢饉から避難させた。これは第1テサロニケ人への手紙4:16~で書かれているキリストによる空中にあげられる(携挙)を指示しているのではないかと思える。

“すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、

それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。”

テサロニケ人への手紙 第一 4章16~17節

携挙において真のキリスト者は災難を免れるのである。そして7年の大艱難時代が終わって、キリストが文字通り地上に再臨されるときに、キリストとともに帰ってきてまた、再び土地を受け継ぎ、そこに住むのである。それはすなわち千年王国のことだと思われる。

シュネムの女は、この大患難時代を前にして、主から警告を受け、安全な場所に避難するキリスト者のことを示しているのである。


4)飢饉が終わって帰ってくる

シュネムの女は7年の飢饉ののち、彼女の土地に帰ってくるのである。そして帰ってくるとき、一度死んでよみがえったその息子とともに帰ってくるのである。主に従うものは大患難時代ののち、神の御子、イエスキリストとともに自分の土地に帰ってくるのである。

聖書というのは、旧約聖書と新約聖書、二つが一緒になって聖書なのであって、神様のメッセージは一貫しているのである。これは私たちキリスト者への希望のメッセージなのである。

主は背教の時代にあって、旧約の時代にも警告を与えられ、今の時代にも警告を与えられる。それは飢饉や戦争、地震、偽りの預言者などであるかもしれない。しかし主はその中で主にあるものを守られるのである。改めて主をたたえようではないか。