何を恐れる?

10月も中旬、中間選挙まで3週間少し。スターリンは言いました。誰が投票するかは問題ではない。誰が数えるかが問題なのだ。数える部分、改善されているのでしょうか。

大きなクライシスが起こされないか心配になりませんか。ノルドストリームが爆破されたとか、クリミアの橋が爆破されたとか、安倍元首相の暗殺についても不可解なことばかり、、、

 でも恐怖というのは、神に反するものが使う常套手段であることを覚えておいてください。ヘンリー・キッシンジャーは言っています。「人々が恐れるものの一つに、わからないものがある。もし人々が何が起こるかわからない、という状況に直面するとき、世界政府からあなたの身分や生活は保障するという言葉がもらえれば、人々は嬉々として自分の権利を受け渡すのだ。」人は恐怖の状態に落ちると、別の人によって支配されやすくなるのです。だから恐怖の感情には気を付けてください。これから、ハロイーンですが、それにも気を付けて。

道路を走っているとき、人だかり、車田雁ができることがありますね。それは何か事故が起きていることがほとんどです。人々は何事が起きているのかを見ようと思って、スピードを落として見に行くのです。だから、12章冒頭、人が集まってくるのである。何か大変なことが起きていることを告げているのです。

1,偽善に気をつけよ

イエス様は、権威ある人々に切り返さます。嘆かわしい、悲しいことだ、内側をきよめることに心を用いよ。11章の最後にあるようにそれを聞いた権威者たちは、イエスに対し激しい敵意を抱き、言いがかりをつけようと攻撃の手を強めるようになるのである。明らかに戦いの火ぶたが切られました。

そこで、イエスは群衆にではなく、弟子に話しかけられます。

イエス様を知っている人、彼らを守り、彼らを育て、彼らからメッセージを広げていかれようと考えているからです。

現代であれば、キリスト者の我々です。ですから今日のメッセージは特に私たちへのメッセージなのです。

1,そうしているうちに、数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏み合うほどになった

イエスはまず弟子たちに話し始められた。「パリサイ人のパン種、すなわち偽善には気をつけなさい。

2,おおわれているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずにすむものはありません。

3,ですから、あなたがたが暗闇で言ったことが、みな明るみで聞かれ、奥の部屋で耳にささやいたことが、屋上で言い広められるのです。

イエスは権威を持っているパリサイ人、律法学者たちの偽善に注意せよと警告されているのです。

hypókrisis (“hypocrisy, insincerity”) literally refers to “someone acting under a mask,” 

偽善という言葉、演劇で、仮面をかぶった演技のことです。今も別の人の仮面をかぶっている人が政治の舞台などでもいるといわれていますが、あの仮面です。誰かのふりをするということです。

 アムウエイの話を見ました。よい人のふりをして、でも実際は穢れていて、悪にまみれている、そういう人に気をつけなさいというのです。ソーシャルメディアで知り合って、おいしい店を見つけたから行きませんかとさそい、仲良くなったところで、一緒にセミナーに行ってほしいと誘い、普通の人が行かないところで、帰れない雰囲気を作って、商品の勧誘を行ったり、メンバーにならせるマルチ商法が話題になっていますが、皆偽善です。人にいいものを紹介する善意の人のふりをして、あるいは人を助けるふりをして、実は自分の利益を追求するのです。

 

プランデミックで、多くの人がかぶらされたもの、あれもマスクです。マスクはただ唾を飛ばさないというだけでなく、私たちは、マスクをかぶることによって、私たちではなく、何か別のもののふりをするように誘導されているのです。マスクを外すのが怖いという人が多い。それは真実を見るのが怖い。みんなと同じ巷の話に乗っていたい。恐怖によって、真実から目をそらすようにコントロールされているんです。

パン種は、イースト菌のことです。イースト菌が入るとあっという間に大きくなります。そういう様子をとらえて、ここではいつの間か広がっていく悪の象徴としてたとえられているのです。2面性、偽善はいつの間にか大きくなるのです。 

 でも、2節、そういう偽善性は明るみに出されるんですということを言っています。

私たちも2面性に注意する必要があります。私たちの内側が穢れていることは、私たち自身がよく知っています。イエス様に委ねるしかないのです。でもそれを怠っては、なりません。

 偽善は、特に私たちクリスチャンにとって、大きな問題です。偽善が教会に与える影響は癌が体に与える影響に比べられます。がんが体を蝕み殺すように、偽善は教会を蝕み殺していくのです。偽善は中毒性もあります。だからパン種なんです。どんどん大きくなっていくんです。少しだけというところから、増え広がっていってどうしようもないところまで行くのです。

或る時、ある人が教会の礼拝に参加して、帰り道、牧師の説教について文句を言い、賛美に文句をいい、帰りの道の混雑に文句を言い、そして家に着いてからは食事が遅いことに文句を言って、そのあと食前の祈りをして食事をしました。彼の息子はずっとお父さんと一緒にいました。そしてお父さんに聞いたのです。お父さん、神様はお父さんが説教について文句をいって、渋滞について、天気について文句を言うの聞いていた、神様はみんなきいてるよ、神様は食べ物に感謝する今のお祈りも聞かれたの、そう、聞かれている。神様はどっちを信じるの。

 

イエス様は厳しく偽善を批判されたのですが、私たちはそれでも真実よりもそういうライフスタイルにのめりこんでしまいがちなのです。自分も含めて私たちの周りの偽善、マスクに惑わされないようにしましょう。イエス様に目を向け続けましょう。

2,人を恐れるな

4,わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、その後はもう何もできない者たちを恐れてはいけません。

5,恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺した後で、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。

イエスは偽善に気を付けるだけでなく、そういう人を恐れるなとも言われます。その時イエス様は弟子たちを友と呼んでくださっていうのです。なんで全知全能の方が私たちを友と呼んでくださるのでしょうか。

それは、イエス様に反対する人たちが、力を増してきているから、弟子たち、私たちが、恐怖を覚えているのを知っているからなんです。だからイエス様は私たちを友と呼んでくださって、近づいてくださるのです。触れてくださるのです。

そして言われるのです。人を恐れるな、私たちの体を殺すことができる人間を恐れる代わりに、神様を恐れるべきなのです。神様は私たちを地獄へ(ゲヘナ)に投げ込む権威を持っているからです。

ゲヘナ、ヘブライ語をそのままギリシャ語にしたものです。黙示録では火の池と書かれています。

ゲヘナというのは、イエスの時代、エルサレムの西、ヒノムの谷を指してもいました。そこでは、ごみや動物、犯罪者の死体が投げ込まれ、絶えず、燃やされていたそうです。イエス様はこの言葉を地獄の比喩として用いられました。ですから地獄というのは、神様のごみ処理場のようなもので、天国にそぐわないものがみな投げ入れられるところなのです。悪魔や神に従わない者が投げ込まれる火の池です。

人の最終的な行き先は2つしかありません。神様とともに天国に行くのか、地獄、ゲヘナとも言われる火の池で、神様と離れ永遠に苦しみ続けるのかです。(ハデス:地獄を意味するギリシャ語)

この地獄に、悪魔や、反キリストや偽預言者、神様に背く人たちが入れられて、永遠の苦しみを受けるのです。

ゲヘナについて

千年王国のあとに、ゲヘナに入る裁きがなされます。千年王国に入る人は3種類、1)携挙の前に死んでいた信者

2)携挙で新しい体をいただいた人 3)艱難時代を生き延びたクリスチャン、この人たちは新しい体ではないので、子供を作っていく。この子孫の中で、キリストに背くものが出てくる

千年王国、メシア的王国が天国のようである理由、1)キリストが王の王、2)全員クリスチャン、3)悪魔が閉じ込められている。千年王国の後、悪魔は解放される。でも悪魔は改悛しない。人々をそそのかす。そして古い肉体を持った人たちの中に、悪魔のそそのかしに乗る人が出てくる。ゴグマゴグの戦いで反逆するが、滅ぼされる。

 白い御座の裁きの前に出る人、神を拒否した人、悪霊、悪魔、

すべてのことが神様の前で明かされる。私たちの言ったこと、考えたこと、したこと、しなかったことのすべてが神様の前で明らかになる。

「おおわれているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずにすむものはありません。」

白き御座の裁きを受けるものは、全員火の池(地獄)に投げ込まれる  罪の軽重が決まるだけである。

地獄とは、どこを見ても神が見当たらない世界、赦しも希望もない世界、自分が願っていた神から離れることが完全にかなった世界であるが、その結果、最も良い方を拒んでしまったことを後悔する世界

でも神様は、そうなってほしくない、、、 

神様の憐れみ

6,五羽の雀が、二アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でも、神の御前で忘れられてはいません。

7,それどころか、あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、多くの雀よりも価値があるのです。

スズメでさえ忘れられない神様は、あなたの髪の毛のかずさえ見ていてくださる。愛の神、憐れみの神なんです。

すずめよりずっと価値があることを、神様は知っておられるのです。

神様は、一人でも多くの人が、いのちの書に記されてほしいと願っていらっしゃいます。そしてその方法を教えてくださったのです。

ヨハネ1:12 しかしこの方を受け入れた方人々、すなわち、その名を信じた人々には信じ神の子供となる特権を与えられた。(養子)

“主はいつくしみ深く、苦難の日の砦。ご自分に身を避ける者を知っていてくださる。”           ナホム書 1章7節

1985年、イランで誕生したサヘルローズさんは、イランイラク戦争で親を亡くし、7歳までイランの孤児院で過ごしていました。たまたまイランで名門のフローラジャスミンが施設に見学に来た時、その子はなぜかフローラさんの手を取った。それを受けて、フローラさんはその子を引き取ることにする。でも子供を産める女性は当時養子をもらえなかった。フローラさんはそこで、不妊の手術をした。そしてサヘルローズという名前にした。砂漠のバラ。 でもそんなことが名門の家族に知られ、勘当され、自分の夫が行く日本にきた。でもサヘルローズは学校でもいじめられる。もう死にたいと思って学校から早く帰ると、

家で母が泣いていた。母に死にたいと言ったら、一緒に死ぬよといわれた。

なんで引き取ったの、理由いる?手を指し伸ばされたら、振り払える?

  キリストは私たちを養子に迎えるために、十字架にかかって、神に呪われることも引き受けてくださった。そんなことに理由を尋ねることもできません。

誰を恐れるべきなのか、誰に感謝すべきなのかを、確認し、キリストの救いを宣べ伝える機会を求めていきましょう。